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青山学院大学体育会自動車部世田谷(廻沢)部室移転
特別企画
淵野辺新キャンパスの開校のため、世田谷校舎の理工学部が移転となります。
昭和43年から約34年もの間(管理人の年齢と一緒!!)、我が自動車部の本拠でありました世田谷部室も、世田谷校舎の閉鎖に伴い移転をすることとなりました。
世田谷部室は、世代によっては「廻沢(めぐりさわ)」とも呼ばれています。千歳烏山、祖師谷大蔵、千歳船橋、成城学園のそれぞれの駅から、徒歩やバスなどで数10分かかる立地でしたが、環状八号線に近く、試合遠征に出掛けるときは便利な立地でした。
皆様にもそれぞれの思い出があるのではないでしょうか?
今回は、2月8日(土)を以て入構禁止になる理工学部校舎にて、世田谷部室の姿を取材してまいりました。
長年にわたり我々を見守り続けた、愛すべき我が本拠地の最後の姿になると思います。
世田谷部室です。
久し振りに見る方も多いのではないでしょうか。
長年の風雪に耐え、
我々を見守ってきた看板。
部室棟横の車輌保管用駐車スペース。
外に置かれた、競技車の数々。
フィギア用の練習車が減った(無くなった)ところに、時代の移り変わりを感じます。
手前は、EP71Tスターレット
奥には、軽自動車耐久レース用の車輌。
練習用、EP71などなど。
手前に積んであるタイヤも、ずいぶんサイズが大きいものも。
使用車輌が変わったのか、個人車の車種も変わったのか、これまた時代を感じます。
男子部室です。
管理人が現役の頃とは、ずいぶん変わりました。
色々な車のノーマルシートを椅子代わりにしているところがなかなか粋です。
新幹部になって、きれいにしたのでしょうか。
(引っ越し前できれいにしたのでしょうか?)
昨年、70周年記念誌「グリーンライト」の資料収集で来たときよりも片づいています。
真ん中のパソコンが、これまた時代の移り変わりを感じます。
電話は、いつのころからか、FAX付きになってました。
管理人が現役の頃は、昔ながらの黒電話からやっと留守電機能付きの電話になったばかりでした。
女子部室です。
数年前から、女子部員がいなくなり、現在は物置みたいになっています。

管理人が現役の頃は、真ん中に大きな机があって、
女子部員の先輩・同期・後輩が、試合遠征の準備をしたり、競技車輌に貼る、ゼッケンや大学名のカッティングシート製作、備品ノートのチェック。会計ノートのチェックなどを行ってました。
女子部室を、中から撮りました。
この角度ですと、管理人が現役の頃と同じ配置の
戸棚やカラーボックスがあります。
この整理タンスは、管理人が現役の頃と同じ位置に。
ガムテを貼って書かれた中身の表示もそのまま。
貼ってある備品リストも当時のままです。
作業ピット内です。
戸棚などの位置が変わっていました。何基ものエンジン、ミッションが置いてあります。
コンプレッサーの位置は変わってないかな・・・?、管理人が現役の頃は、戸棚はシャッターのすぐ脇に、
コンプレッサーの左横(写真では奥、戸棚のあるところ)には、マフラーやらロールバーやら、Zのミッションやら、
エンジンなどが積まれていました。整理ができない場所なのは相変わらずです。でも広く感じます。
現役は、よく整理しているようです。(もしくは引っ越し直前で少し整理された後なのかも・・・・・・・。)
ピット内には、ジムカーナ用の競技車「CIVIC」が。
シーズン開幕に向けて、整備中でしょうか。

タワーバーで、リヤガラスハッチを支えているところが
自動車部らしいところです。
ファイターと、世田谷部室。
この光景も、もう見ることは出来なくなります。

ファイター(4t)は、やっぱり、自動車部の旗艦。
象徴(シンボル)のような気がします。
どの試合車(競技車輌)よりも神聖な存在なような。

写真左側にちょこっと見えているのは、
Team AGOBACのVIVIOです。
AGOBACは、一番左端のこの場所に間借りさせていただいておりました。

右奥のワゴン車は、航空部?のものです。
訳あってこの位置に停まっています。
(その理由は、後ほどお見せいたします)
競技車輌・練習車輌の数々。
別の角度から撮りました。
本当に、フィギア練習用の車輌はなくなりました。
(普通乗用:セダン用の車とか・・・・。)
手前は、ジムカーナ用の競技車(練習車?)CITY。
右奥は、ダートトライアル用でしょうか?
スターレットEP71T。
その隣は、軽自動車耐久レース用のMIRA。
その奥にも、車輌が保管されています。

新しい部室に引っ越すのは大変でしょう・・・・。
運ぶのもピストン輸送で何回も・・・・・・。
洗面所の所です。
ここにあった下駄箱はついに処分されたようです。
(昨年までは、ありました。)
引っ越しを機会に、だいぶ処分が進んでいるようです。

引っ越し荷物が積んでありました。
まだ途中なのでしょうか?

いずれにしろ、引っ越し作業は、大変でしょう。
部室の入り口。
管理人が現役の頃から、貼られているステッカーも
ありました。

管理人、大学4年の頃は、青山キャンパスよりも世田谷にいた時間の方が多かったかな。
部室は、夏は暑いし、冬は酷く寒い所でしたが、
なぜか青キャンより居心地がいい所でした。
まあ、勉学二の次でしたから・・・・・・。

新しい部室、ガレージになっても、この看板が引き継がれて行くことを願っています。
長い間、ありがとう。世田谷(廻沢)部室。

引退して、10年の月日が流れ、世田谷の部室も建物は変わらなくても、中身はだいぶ変わっていました。
今回は、世田谷(廻沢)部室の、ほぼ最後となるであろう映像をお伝えしました。
整備に明け暮れたガレージ。寒くて、ジャンパーを何枚も重ね着した部室。
ちらかっていて足の踏み場もない男子部室。壁に掛けられていて学ラン。棚に置いてあったヘルメット。
ダートから帰ってきて、試合車の洗車をして丸和の泥で白く染まった部室前。
部室前は、フィギアのシーズンには、紐とガムテでBOXが描かれ、ロックの練習、かけ声が響き渡り、暗くなっても、練習をやってました。
練習終了後の整列。「一日お疲れさん」で始まる幹部一人一人のお言葉。
オフシーズンに、許可をもらって、自分の愛車のオールペン(色の塗り替え)もしました。
当時は、個人車を世田谷構内に入れるのには、その都度許可をとってました。いつも入れられた訳ではありませんでした。
中には、泊まったことがあるひともいたとか・・・・・・・。
いろいろな思い出が、それぞれ皆さんにもあることでしょう。
間もなく、34年の歴史に幕を閉じ、部室もガレージも閉ざされることとなります。
新しい部室は、どんな部室になるのでしょう。
自動車部は、新しい部室・ガレージを得て、新しい歴史を刻んでゆきます。
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おまけで、世田谷校舎の写真も撮ってきました。
ぜひ、つづきもご覧下さい。   つづく